知床・斜里、鮭のいまをめぐる旅 第四話(最終話)
漁師の自分にできること
いつもきれいな札幌の豊平川を散歩していた時のこと。ゴミ拾いに取り組む男性と出会って、これまでの自らの行いを反省した。それと同時に、斜里の海のゴミを減らしたいと思うようになった。帰って来てから一番に取り組んだのは、ゴミ拾いだった。
「自分たちが働く場所をきれいにするっていうあたりまえのことをしているだけなんだけど、このあたりまえが漁師にとっては難しい」。
第二十一北洋丸のホームページを作ったのは、ゴミ拾いの活動を発信するため。それを見てゴミを捨てる人が減ること、同じようにゴミを拾う漁師が増えることを願って。環境の変化は、自分たちの手でどうすることもできない。だからこそ、「漁師の自分にできることをやるしかない」。
漁が終わり港へ戻る帰りしな、漁師たちが缶コーヒーやおにぎりを手に一服していた。出発時とまったく異なる朗らかな雰囲気。これまでいかに緊張感に包まれていたのか、飲み物を笑顔で手渡されようやく理解した。「またいつでも乗りに来てくださいね」。そう爽やかに声をかけてくれたのは、20代の若い漁師だ。第二十一北洋丸に乗り、これまで抱いていた漁師像がまったく新しいものに塗り替えられていく。
2021年の春には、誇りを持って仕事に向き合う父の姿を見て、2019年春に大学を卒業した現在25歳の息子も同じ船に乗った。漁師になったということが、父を思う気持ちを何よりも表している。
港へ帰ると、鮭への情熱と知識は斜里町イチの「サーモン博士」と呼ばれる森さんが待っていた。森さんは斜里町役場水産林務課に勤めながら、鮭にまつわるあらゆる活動に取り組んでいる。伊藤さんが話の節々で「すごい人だなと思う」とその活動を評していた人だ。こうして漁師と役場職員がお互いにリスペクトをし合っている状況は、珍しいことではないだろうか。所属が異なるあらゆる人の思いによって、知床の鮭は守られている。

漁の見学を終え、斜里町にある民宿兼レストランの「しれとこくらぶ」へ。このしれとこくらぶ、実は斜里の温泉好きから一目置かれる温泉が湧いている。噂通りぬるっとしたなめらかな泉質の湯が、海で冷えた身体を柔らかく温めてくれた。湯上がりに宿主のご家族と話して和んだあと、店のWi-Fiを利用して旅の所感をまとめる。
それぞれの人が、いまできることを
振り返ると、意図せず抱いていた思い込みを一つずつ外してくれる人との出会いに恵まれた旅だった。
知床の自然は、人が支えてこそ成り立っている部分があるということ。鮭の漁獲量減少が叫ばれているけれど、その実情は漁船によって異なること。そして、現状とまっすぐ向き合って、六次化やゴミ拾いなどに取り組む熱い漁師たちがいること。
「自然は自分たちが思うよりずっと強いよ」。
知床の森を歩いていた時、ピエさんがぽそりと呟いた言葉を思い出した。
1990年代、知床で鮭はほとんど獲れず、漁師は貧しい時代を送ったという。2021年現在、本当に鮭は獲れなくなったのか、これまで獲れすぎていたのか、それは誰にもわからない。自然の長いサイクルで見ると、断言できないほど短い期間に起きた出来事なのだ。少し手を加えるとエゾシカの生息数が減少したように、海のバランスもまた、あるべきところに戻っていこうとしているのかもしれない。
「漁師の自分にできることをやるだけ」という伊藤さんのシンプル言葉は、自分にも投げかけられたメッセージのように感じる。鮭が大好きな一消費者として、地球に生きる生活者として、自分には何ができるだろうか。漁業のいまに向き合う漁師の思いに触れ、私にできることに思いを巡らせた。
<連載終了>
記事に出てくる写真やデータは2021年10月時点のものです
写真:ミネシンゴ (アタシ社)
取材・文:森髙 まき (たまたま舎)
企画:初海 淳
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