沢山の川・水路で鮭を見ることができる斜里町。鮭だけではなく、名称の記載されている川・沢の数も日本一だという。大自然の中ではぐくまれた豊かな水量・水質の川が、鮭の遡上を支えている。

斜里町で暮らす人々に話を聞くと、子供の時に食べた塩いくらを懐かしむ人、毎年友達の漁師が分けてくれる鮭を楽しみにしている人、なかには「実は子供のとき『なんでみんな鮭なんか見に来るんだろう?』と思ってた。どこにでもいるのにって」と語る人もいた。また毎年鮭シーズンには斜里町斜里町の給食センターを通じ、鮭を使ったメニューが小学校で提供されている。鮭は斜里の日常に溶け込んでいる存在なのだ。

『日本一の旬を味わう! 知床鮭ウィークと斜里・ウトロをめぐる』の最終回では、実際にサケの現場をめぐり鮭と斜里の現在・そして未来を取材する。
朝3時。斜里町しゃりエリア。『北洋共同漁業部第二十一北洋丸(以下北洋丸)』の船に乗せていただいた。集合時間の早朝は空と海の境目がわからないほど真っ暗だ。体感では船の縁と海はほぼ平行。船の幅は大股で3歩ほどで、最初は撮影のために一歩踏み出すのも怖い。最新型の漁船は時速60kmまで加速できる。船は凪いだ海をかき分けて進んでいった。

北洋丸の漁法は定置網漁だ。陸から数kmの場所にあらかじめ網を仕掛けておき、そこにかかった魚を引き上げる。「乗組員を信頼していないと朝に漁なんてできませんよ。朝の暗い海に落ちたらもう探せない」。北洋丸代表の伊藤さんがさらりと言った。漁師としての同僚への信頼と、実感のこもった自然の脅威を感じた。そんな神聖な場所へお邪魔させてもらっている恐れ多さに震える。

鮭のシーズンは9月から11月まで。鮭漁師はその約3ヶ月で漁獲による1年の収入が決まってしまうという。小さなボートと船で網を挟みこむと、海上には銀色の波のように鮭の大群が浮かんでくる。備え付けられたクレーンや手作業で網の中の鮭をすくっていく。機敏で無駄のない動作に圧倒された。

「カッコいいでしょ?」と笑う代表の伊藤さんに、思わず言葉より先に頷く。シーズン中はほぼ毎日、何十年も海に出続けている彼も「空が明るくなって港が見えてくるといまだにほっとする」と語っていたのが印象的だった。
北洋丸は漁業以外にも鮭に関する多角的な活動をおこなっている。鮭の通信販売はもちろん企業とコラボレーションをして水産加工品の開発、SNSで鮭に関する情報の発信、海岸清掃などだ。

鮭や漁業について発信する北洋丸のYouTubeチャンネルは、現在1万人以上(2024年時点)の登録者を獲得。斜里町の外に住んでいるクリエイターを正規雇用して、企画や動画の編集もすべて自社内でおこなっているそうだ。漁業のフィールドにおいて漁師や事務員以外が正社員として、しかもリモートで勤務しているのは異例だという。

また海岸清掃に関しては「海で仕事をする鮭漁師がやらないでどうするんだと思って始めた」と特に強い想いを持っているそうだ。

取材が終わったあと、伊藤さんから鮭一本をお土産にいただいた。何度もお礼をいうと「近いうちに今日みたいなお土産つきの乗船体験ツアーをやりたいんだよね」と伊藤さん。北洋丸と伊藤さんの挑戦はこれからも続く。
獲れた鮭がどのように届けられるか知りたければ、斜里町ウトロエリアの『ウトロ鮭テラス』を訪れよう。ウトロ鮭テラスは2階建ての漁港。1階は水揚げや競りをおこなう衛生管理エリア、2階は駐車場兼フリースペースになっている。衛生管理エリアは関係者以外立ち入り禁止だが、2階からは鮭の水揚げを見ることができる。このような2階建ての漁港は、全国的にもとてもめずらしいという。

シーズン中は漁が休止される日曜日と時化(悪天候)の日以外はいつでも見学が可能だ。数十トンの鮭がクレーンで運ばれコンテナの中に落とされ、仕分けられる。2階から見学しても銀色の身がぶつかり合う音まで聞こえるほど大迫力だ。

漁獲量全国1位を誇る斜里町の鮭漁。そこにはいくつものユニークな特徴がある。斜里町周辺の海は水深が急に深くなる地形で、他の漁場と比べると深い場所に網を張りやすい。全国平均が水水深10〜30mのところ、斜里町ではおおよそ60m以上。ときには70m以上の深さに網を仕掛けることもあるという。だから斜里町漁協の多くには、海中で作業をする潜水士が所属している。他の地域で潜水士は外部に委託することが多いので、こちらも斜里ならではだそうだ。

鮭テラスでは鮭漁師の目によって熟成度合ごとに瞬時に鮭を選別していく。鮭を分けるのに使っている道具は除雪用スコップ。北海道という地域ならではのアイデアだろう。斜里町の水揚げでは仕分けの際オスとメスを区別しない。あまりにも潤沢に鮭が獲れるので、鮮度を守ることを優先しているそうだ。
しかし鮭日本一を誇る斜里町も、近年漁獲量は減少傾向にある。気候変動の影響などが考えられているが、今も原因の研究が進められている。斜里で鮭を守る人々は、今後鮭に対しどのような展望を持っているのだろうか?

「鮭にどうなってほしいかを人間が求めるのはエゴ思いますね」。斜里町役場水産林務課で課長を務めている森さんは言う。水産林務課の水産係は漁業者が働きやすい環境を整えるだけではなく、水産資源を守るための活動も主導している。森さんは鮭への知識と貢献から斜里町では『サーモン博士』と呼ばれている。

持続可能な水産資源を守るために、ときには規制が必要な場合もある。今斜里では鮭の密漁も大きな問題になっている。斜里町では今年2024年から、鮭釣りに関するルールが制定された。釣り竿は3本まで、持ち帰っていい鮭は3本までなどが定められている。

斜里の鮭は1本3kgはある。個人や家族で楽しむのには十分な量だ。それでも今まで自由に釣りを楽しんでいた釣り人からは反発はある。「自分たちで作ったからには、守ってもらうため理解を呼びかけています」。森さんは休日も海岸や川に現状を見にいき、釣り人に声かけをすることもあるという。
また斜里町は2000年代から鮭の自然産卵に取り組んできた。人工ふ化した稚魚を放流するだけではなく、鮭の自然産卵を増やす試みだ。しかし、人工孵化であれば8割は稚魚になるのに対し、自然ふ化は圧倒的に稚魚が生まれる割合は低くコストもかかる。「最初は全然理解されませんでしたね。『そんなことやってどうするんだよ』って雰囲気で」。しかし現在は、成魚となって川に戻ってくる割合は自然産卵の鮭のほうが高いと判明している。「人工ふ化だけで世代交代が進んだら、少し自然環境が変わっただけで生き残れなくなってしまう」。遺伝子の多様性を保つには双方をバランスよくおこなうことが必要だ。

「繁殖しよう、養殖しようと口で言うのは簡単です。でも、ものすごく難しいことですよ。サケは生きてるものですから」。密漁問題や、膨大なリソースを注いでも、鮭の生態には近年の個体数の減少など謎も多い。それでも森さんは後ろ向きにはならない。「でも鮭は人間の手が入る部分が多い魚。ふ化放流事業や漁獲量の調整もそうですが、できることがいっぱいあるんです」。

最後に森さんにとっての鮭の魅力を聞いた。「いい意味での存在の重さですね」。自然としても文化としても身近な存在でもあり、食料でもある。そして自分たちの生まれた場所に帰ってきてくれる存在。森さんは斜里町の鮭に対して、水産資源以上の何かを感じているという。
「僕たちはこれからも鮭のためにできることをやっていくだけです」と森さんは結んだ。斜里町には、さまざまな形で鮭にかかわる人々がいる。そんな彼らの想いを象徴したような言葉だと思った。

参照:鮭日本一の町 
https://shiretokosalmon.com/sake
<最終話、このストーリーはこれで終わりです>
※ 記事に出てくる写真やデータは2024年10月時点のものです

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