知床・斜里、鮭のいまをめぐる旅 第三話
第二十一北洋丸と鮭
日の出前の暗い漁港に灯る、第二十一北洋丸の灯り。代表の伊藤正吉さんに迎えられて、波のない秋の海に静かに出航した。定置網のポイントまでは15分ほど。両足でしっかり踏ん張りながら、少しずつ赤みを帯びてくる知床山脈の稜線を横目で見ていた。
漁師たちが一斉に腰にマキリ(小刀)を差し始め、漁場に近づいたことを知る。定置網のポイントに着くと、伊藤さんと副船長と思しき年長者二名を残して皆小舟に乗り込み、乗組員が総出で定置網を引き始めた。全身を動かし、息を合わせて網を引き上げる。彼らの背中から差し込む光が眩しい。
追い込まれていく網の中で、白い波を立てて跳ねる魚が見えた。大量の鮭である。クレーンの大きな網で掬われた鮭が、船倉に放り込まれては力強く跳ねる。その様を、険しい表情で見つめる伊藤さんの姿があった。
力いっぱい躍動する鮭の命を扱う、漁師の無駄のない手捌き。舞台を盛り上げるような美しい朝日に、照らされた半島とあけぼのの海のきらめき。目の前で起きるすべてに圧倒される間に、次々と漁場を移りてきぱきと仕事を終える漁師たち。これでもやはり、漁獲量は減っているのだろうか。
「いや、うちはそこまで減ってないよ」。
これまで聞いてきたこととまったく違う角度から飛んできた返答に、思わずたじろぐ。端的に伝える瞳の奥に、強い意志が宿っているのを感じた。
伊藤さんが率いる第二十一北洋丸は、近年言われている鮭の漁獲量減少と異なるルートを辿っている。漁獲量が全体的にガクンと減った2020年の水揚げ量は自社比で過去3位、今年は5位の予想だという。もちろんそれには理由がある。徹底的に鮭の動きを読み、網の仕組みを変え独自の研究を重ねてきたのだ。「その結果が数字に出ているんだと思う」と、伊藤さんは淡々と言う。
年功序列ではない組織を作ろうとしたり、若い漁師に経費削減についてのレポートを要求したり。およそ一般的な漁師像とは異なる伊藤さん。特に目を引く活動は、6年前から始めたゴミ拾いだ。2021年9月に行ったときには、大きいビニール袋3つ、容量1トンの産廃袋8つ分のゴミを集めた。ゴミ拾いを始めたのは、古坂さんと同じように一度斜里から出たことがきっかけだった。
8年前の2013年、致死率7割と言われた劇症肝炎を発症し倒れた伊藤さん。ドクターヘリで札幌へ飛び一命をとり留めたあと2年間静養し、海から離れた。
久しぶりに得た自由な時間。街に出て異なる価値観を持つ人とたくさん出会った。離れて思ったことは、「斜里っていいなぁ」という地元への郷愁だった。傍らにあった自然は、実はあたりまえではないこと。知床は多くの人に愛されている場所だと知る。「こんな町、なかなかないっしょ」。成り行きで継いだ漁師という仕事に、今度は自分の意志で帰ることを決めた。
<第四話に続く>
※ 記事に出てくる写真やデータは2021年10月時点のものです
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