知床・斜里、鮭のいまをめぐる旅 第一話
道内有数の鮭の漁場、知床・斜里
世界自然遺産に認定された知床の入口にある町、斜里町。毎年多くの観光客が訪れる場所でありながら、道内でも有数の鮭の漁獲量を誇る漁業の町でもある。
朝6時45分。鮭の水揚げを観察できる「ウトロ鮭テラス」で、漁船の帰りを待っていた。一階は漁業関係者のみ入れるスペースだが、二階の駐車場は一般の人でも出入りでき、なかなか見ることのできない漁の現場を上から見ることができる。
日の出時刻を過ぎ、力強い朝日がまだほの暗いウトロ漁港に差し込んだ。それと同時にクレーンがついた鮭漁船がゆっくり入港し、どこにいたのだろう、ウミネコたちが待ってましたと言わんばかりに空を舞う。
獲ってきた魚を保管しておく船倉から、鮭が次々とクレーンで水揚げされていく。それらを、目にも留まらぬ速さで選り分けていく漁師たち。彼らにとっては繰り返してきた朝の日常。観光客の私には目の前で起こるすべてが真新しく、好奇心とシャッターを押す指が止まらない。
その日の獲れ高を確認するせり人や漁業関係者たちが集まり、凪の水面と裏腹に活気づく港の風景。なるほど18年連続鮭の漁獲量日本一(2020年斜里町調べ)の町だ。何度も行き来するクレーンを見ながらそんなことを思っていた。
鮭の漁獲量減少で、始まる六次化
水揚げを見学した後に会ったウトロのベテラン漁師、古坂彰彦さんに前のめりに感動を伝えた。すると返ってきたのは、「10年前はあんなもんじゃなかった。今年は日本一じゃないかもしれない」という、ショッキングな内容だった。
どうやら、斜里町の鮭の漁獲量はここ数年減り続けているらしい。海水温の上昇などの外部環境のせいだろうか。関係者は必死に調べているけれど、これと言って明確な原因はわかっていないという。
「まぁいいから、食べてみて。これがなんだかわかるかい?」
暗い空気を打ち消すように、皺が刻まれた笑顔でひと皿差し出した。得体の知れない白い物体を口に運ぶと、もちもちした弾力のある食感と、燻された香りがたまらない。「白子ですか…?」と言うと、とびきりの笑顔で「そう!」と古坂さん。
ヒマラヤ岩塩と桜チップの燻製で仕上げている白子の燻製は、スモークされているのに食感は生物のようなみずみずしさだった。初めての食感、初めての味。間違いなくお酒のアテに最高である。
この白子の燻製は、加工品開発の試作品だ。古坂さんは漁獲量減少を前に、今できることとして六次化や飲食業への挑戦を始めている。
18歳で親の生業を継いだ古坂さん。若い頃は「本当に辞めたくて仕方がなかった」ほど、漁師の仕事が嫌いだったという。目の前の生気漲る姿からは、まるで想像がつかない。
仕事が楽しいと思えるようになったのは、自分が船頭になってから。仕事の無駄を省き、おかしいと思う漁師の慣習は改善し、新しい漁師像を部下に伝えた。さらに数年前に漁の事故で首にケガを負ったことも大きな転機となった。手術のために東京へ通い現地に知り合いが増えたことで、第一線で活躍する有名人や料理人たちとの繋がりが生まれた。彼らの価値観に触れるうち、「日本一」で対等になれるものを自分も持っていることに気づいた。それが古坂さんにとって、鮭漁だったのだ。
六次化や飲食への挑戦は、生き残るための手段の一つ。けれど古坂さんの話しぶりから、とにかく新しい挑戦が楽しくてたまらないといった印象を受けた。目の前に悲観することなく、先を見越して楽しみをつくる。漁獲量減少などの暗いニュースの後ろに、こんな明るい漁師の存在があったとは。次々出てくるもてなし料理をいただきながら、静かな衝撃を受けていた。
その日の宿泊は、ウトロの中心部にある民宿Bon’s Homeへ。昼はレストランとして利用することもできるので、地元の人もよく行き来するという。ちょうど宿主の小川佳彦さんと奈緒美さんが料理の仕込みをしているところだった。人気メニューのカレーの優しい香りが、Bon’s Homeのアットホームな雰囲気をより一層引き立てていた。明日は知床自然ガイドのピエさんの案内で、知床の森を歩く。
<第二話に続く>
※ 記事に出てくる写真やデータは2021年10月時点のものです
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